8463 DC2
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NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた?
古代象の夢なりき 2
前回はこちら
かなりの数の背景やらモンスターやら描きまくった。3Dモデラ―班が追いつけない程だ。だから、オレも程々のところで3Dモデリングに回ることになった。爆発音、魔法の効果音など、音楽以外の効果音の編集もやった。まぁ、だから、オレが最初に扱えるようになったPCのソフトは、フォトショップどころかワードやエクセルでもない。ライトウェーヴという3Dグラフィックソフトだったのだ。
冬が過ぎ春になり、初夏ごろになっても、しかし、試しにゲーム画面をテレビに映し出し動かしてみる、ということが出来なかった。プログラマーは、名目は’社長’だった「ちょんまげ」さん。役員の肩書として会長がボス、社長がちょんまげさん、専務が風雅システムの社長であるランエボ氏、というのは前回も書いたが、実際のところ、全体の仕切りはボスが行い、制作統括をランエボ氏が行うという体制だった。ちょんまげさんからは一切の指示指導は受けていなかった。ちょんまげさん、プログラミングに専念していたわけである。
オレはゲームをしたことがない事は既に書いたが、まして当時ゲーム制作の事などちっともわからなかったけど、さすがに年内(1997年末)のリリースに間に合わすにはタイムリミットを超過してしまっていたらしい。急遽、ランエボ氏もプログラミングに回るものの、ソッコー白旗を揚げ、ランエボ氏の風雅の社長権限なのか何なのか、風雅のプログラマーを連れてきたが、程なくパンクした。
9月頭にはゲームショーがあり、そこに出展するために、なんとか形にする必要があるのに、ここで最初の行き詰まりを見たわけだ。
「グレムリン」を離脱して地質調査の会社に入って何年か経ったある日の会社帰りにコンビニで立ち読みした、確か週刊プレイボーイだったと思うが、
プレイステーションの立ち上がり、サードパーティーの新規参入を促すべく、開発キットを配布したが、特に初期、ライブラリーに致命的なバグがあり、ナムコ、ハドソン、スクエア等々大手は、早々に自分たちでライブラリーを組みなおしたが、勇んで参入した中小のソフトハウスは多くが討ち死にした
というような記述を見つけ、軽いショックを受け、その場に座り込みそうになった。つまり、グレムリンは討ち死にしたone of themだったわけだと。プレイボーイの記述が本当だったかどうか、今となってはいくらネットを検索しても、そのようなことが書かれたページは見当たらなかったので、本当かどうかはわからない。
だとしても、当時、そういう訳で、悪いのはちょんまげさん、と決めつけていたが、今になって思う。作ったデータがゲーム画面に表示されない、ということ、ちょんまげさんは決して隠していたわけではない。多少その時々楽観的なことを言っていたとしても、タイムリミットを過ぎるころまでそれに対してほとんど手当してこなかったのは、ちょんまげさんだけの責任ではないのである。
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画像のDC2、「風雅の大田君」こと後の楓牙氏が当時乗っていた車がこの型、この色だったのだ、が、2ドアだったか4ドアだったか、実のところよく覚えていない。