2021年9月25日土曜日

7109 H2R_4

 

7109 H2R_4

7108 Jason Statham

 

7108 Jason Statham

7107 Z1000_28

7107 Z1000_28

 

7106 H2R_10

 

7106 H2R_10

H2R
 Tsukuba 2021


7105 CKV36_2

 

7105 CKV36_2

7104 富沢祥也_3

 

7104 富沢祥也_3

Shoya Tomizawa
Suter MMX 2010


7103 Z1000J_2

7103 Z1000J_2

 

2021年9月23日木曜日

7100 SB1_3

7100 SB1_3

SB1
Adam Malley
Mid-Ohio 2008

 別に右翼の街宣車というわけではなく、アメリカの草レースでの一コマである。'70年代にディーラーを離れて以来、ほぼ日本人がかかわっていることはないと思われる。

 旭日旗が、ハーケンクロイツと並ぶものとして、掲げることに対し韓国人が批判を繰り広げるようになるほんの少し前のものである。
 思い出すのは二輪のGPで、ヨハン・ザルコが赤丸に放射線状に赤の帯が広がるデザインのヘルメットをしていたところ、やはり強く攻撃されデザインを変えてしまったということがあった。別に敬意も謝意もあるわけではない。面倒くさい奴らの相手など無駄な消耗でしかないと判断したのだろう。このシビックにしたって、今このカラーリングなのかどうかは分からないし、そもそもクルマとしてこの世に未だに存在しているのかもわからない。

 日本として、然るべきタイミングで、受けるべき人間にペナルティを課さずに、その為にその辺の事実ぼやかしてきてしまったことが、何やら、日本人総出で謝れ、みたいな韓国人の主張を罷り通らせている気がして仕方ない。であるから、うやむやにはやはりうやむやに、韓国の政治的主張が勝利したりする。しかし、繰り返すが、そこには、政治的に勝利しても本質的な経緯や謝意は存在しない。あ~、またなんか面倒くさいこと言ってきてる、というのが多数派であると思われる。

 聖徳太子の時代から代々、日本の「日いずる処」というのが、中国人にも韓国人にも、日本人にマウントとられたようで我慢できないということもあるのだろう。ハーケンクロイツが、アーリア人の優秀性をなんたら、とヒトラーがでっち上げたものと、同列で語られるのはそういう理由もあるのかもしれない。いや、これをやめさせるいい機会だと、何千年来の懸案を解決するつもりなのかもしれない。本当は日本人から日章旗も菊のご紋も取り上げたい。そんなところではないか? あんなやつら、この世の果ての小島に追い落とされたやつらに偉い顔されるの我慢できないとかという、何千年にわたる歴史意識があるのかもしれない。真っ先にやり玉に挙げたのが、日章旗でも菊のご紋ではなく旭日旗であるところにそんなことを感じた。攻撃しやすい所から、という感じだろう。
 
 実は、それぞれの国内で、支配者層がそれぞれの地位保全のために結託していることもあるかもしれない。2021年9月現在、コロナ禍での失策で、自民党危うし、というタイミングで、北朝鮮がちゃんとミサイルを撃ってくれた。お互いの世論がいがみ合うことで、世論を糾合し、結果既存の支配者層の地位が保全される形。
 でなければ、太平洋戦争時に何があったか、何をしたのか、遅くとも景気が良かった昭和後期までに、誰もが納得できる論理的な解明は済んでいるはずで、21世紀になってから、まさか、当時の軍旗に使われていたからと、旭日旗の排斥運動が今更のように起こったはずもない。
 韓国など、ちゃんとすべて明らかにされていない大戦の、「日本の負債感」を国家的資産をとらえている節すらある。なにかあれば日本から絞れ、出来るだけ長期間にわたり、みたいな。で、日本の支配者層もそれに連動している感じで。

 シビックはカッコいいのに、クソみたいな文章を書いてしまった。しかしまぁ、こんなボディパネルの車を掲載する以上、何か書かないわけにもいくまい。


 

7099 Z1000R_18

 

7099 Z1000R_18

7098 石田ゆり子_13

 

7098 石田ゆり子_13

7097 KR750 1979

 

7097 KR750 1979

KR750 1979
rider; Mike Baldwin


7096 KPGC10_5

 

7096 KPGC10_5

7095 ZXR-7 1989

7095 ZXR-7 1989

ZXR-7
1989 Bol d’Or & Suzuka spec.


 

2021年9月22日水曜日

7094 Ron Haslam_3

 

7094 Ron Haslam_3

Ron Haslam
moto elf 4 1987

 1997年頃、縁あってゲーム開発の仕事をする機会があったときに、初めて「エルフ」が妖精とか、あと、ファンタジーの定番種族であるというようなことを知った。非常に、恥ずかしながら、だが。何しろ、多少絵が描けるということで、ゲーム制作に呼んでもらえたのだが、それまで、フェミコンとか何とか、家庭用ゲーム機とは縁がなく、ドラクエとかファイナルファンタジーとか、名前は知っていたけれど、コントローラーを握ったこともなかったのだ。

 エルフと言えば、少年の頃「タイレル(ティレル)」にでかでかと書かれた文字だったり、あとは、変な前後サスペンションのレーシングバイクとか、トラックのブランドにもあったな、そういえば。

 今は、アナログでやってたやり方をphotoshopで描いた、まぁ、上のような絵だが、90年代後半まで、透明、不透明水彩で、恐ろしく時間をかけてアナログでやっていた。知り合いの広告屋がそれを知っていて、絵を描ける奴を探していたゲーム制作会社を紹介された、と。ゲームなんて全然したことがなかったんだけどな。

 ゲームに限らず、あらゆる分野で、小資本のインディーズが夢を見られた最後の時代ではなかったかと思うが、夢が夢で終わってしまった。そんな感じ。勿論、今でも飛びぬけて優秀なマネージメントさえあれば、小さい所でも上に登っていけるけれど、とにかく高次元のマネージメントが求められる。ふわっとしたもので、思い付きだけでなんとかなる、という意味で、ひょっとしたら、この時すでにそうじゃなくなっていたのかもしれない。


2021年9月19日日曜日

7091 以蔵 retake

 

7091 以蔵 retake

以蔵    Izo
750SS MACH H2


7090 光石研

 

7090 光石研

 原作ではその辺、はっきりとは描いてないものの、映像版の「深夜食堂」はそのオープニングよりどうやら歌舞伎町が舞台、ということになっているらしい。その辺のエリアで現場、地回りのベテラン刑事さんの役の光石研氏は、「シンゴジラ演っていたのだから、新宿駅をはさんで西と東、随分と対象的な役を演じ分けておられるわけで、何やら面白い。「シンゴジラ」では「なぜすぐに避難指示が出せないんだ?」「災害マニュアルはいつも役に立たないじゃないか。すぐに避難計画を考えろ」「このままでは被害が拡大するばかりだ「公安委員会に連絡を取ってくれ。政府が動かないなら都から有害鳥獣駆除として自衛隊の治安出動要請を出すしかない」

 現実でも同じ菜っ葉服なんだなぁ、と、小池東京都知事の作業服姿を度々目にしたが、コロナ対応に関し、国の対応より東京都や大阪府が突出した場面というのが特に2020年には見られたように思う。それが政府や中央官庁にとっては面白いことではなく、それなりに軋轢があったようにも聞いたことがあるが、「シンゴジラ」の前3分の1で観られたように、現実の日本政府の対応というのが、コロナ禍においてもあまりに鈍い。これを書いている現在、自民党の総裁選挙がトップニュースとなっているが、しかし、イデオロギーとか何とか以前に、このネット社会において政府の反応が見えづらく、又は非常に鈍いということを問題にしている候補者がいない。野党からもそんな声が聞こえない。一番の喫緊の問題はそこだと感じているのだが。

 それはさておき、光石研氏である。シンゴジラ以前は、正直名前をも存知ていなかった。あまりドラマとか関心ないし、そもそもテレビ、映画、あまり見ないし。尾頭ヒロミ役の市川実日子氏が面白かったので、そこからいろいろ掘るようになったのだが、「マザーウォーター」とか「メガネ」とか、いろいろ共演しているおじさんというところで認識が深まった。東京都知事のような硬いやくというのが寧ろ稀で、どちらかというとふんわりしたおじさんの役が多い俳優さんであるようだ。
 で、深夜食堂。どちらかというと原作漫画の方がなじみが深く、原作の方は、もうちょっとからっとしているのだが、そこは日本製のドラマ、すこし湿っている。そこはいい。どちらにしろ、スワンプギターが流れているような風合いで、それはそれでオレの好みではある。

7089 Eclipse_5 retake

 

7089 Eclipse_5 retake

2021年9月12日日曜日

7084 GPz1000RX_3

 

7084 GPz1000RX_3

7083 SA22C_7

 

7083 SA22C_7

 旧8号線沿いの、今は第二地銀の店舗になっているが、それはコンビニエンスストアの居ぬきで、その前は昭和40年代に建てられた鉄骨か鉄筋、多分鉄筋3階建ての建物で、解体される寸前、何が入っていたかはわからないが、昭和50年代、1970年代後半、そこにはマツダのディーラーが入っていた。

 昭和から1990年代初頭、日本車の走行性能と言えば、世界一、であったが、昭和50年代はまだまだ追いつく途上で、おりしも少年たちの間のスーパーカーブーム、日産のL型にしろ、トヨタの2TGにしろ、チューナーたちが頑張っていたけれど、やはりそこはメーカーが頑張ってもらわらないと、という状況で、で、マツダの12A。ま、がんばれがんばれ、といった感じだった。

 当時、小学生でエンジンの型式なんか知ってる奴なんていない。12気筒が偉い。8気筒もなかなか、ぐらいの知識。国産車はせいぜい6気筒が上限。そんなことより、パッカン・ライトである。リトラクタブル・ヘッドライトの事だが、日本車ではあまり見られない、点灯時せりあがってくるライト。これは、もう少年たちには憧れのアイコンで、目ざとい自転車メーカーが少年向け自転車にばねでびっくりする感じで飛び出してくるものではあったけれど、つけて発売してそれなりにうれたんじゃなかったか? 小学校のクラスで持ってたやつ、3,4人はいたと思う。

 新聞で、マツダがパッカンライトの車出すというから、旧8号線のディーラーに見に行った。メタリックグリーンの車。メカニックにしてみたら、ジャリ共がうるせえ、うるせえ。「父ちゃんか兄ちゃん連れてきな」とは言われたが、一度だけ、ライトをせり上げ点灯して見せてくれた。

7082 笛木優子

 

7082 笛木優子

2021年9月11日土曜日

7081 TE71 Levin_2

 

7081 TE71 Levin_2

7080 Christian Sarron_5

 

7080 Christian Sarron_5

Christian Sarron
OW98 1988


7079 Z1-R_28

 

7079 Z1-R_28

7078 あいだもも_1 retake

 

7078 あいだもも_1 retake

7077 Herbert von Karajan

 

7077 Herbert von Karajan

7076 C2-R

 

7076 C2-R

7075 Rob McElnea

 

7075 Rob McElnea

Rob McElnea
RG-Γ500   XR45
Ulster GP 1983


2021年9月10日金曜日

7074 Moriwaki Z1, Bol d'or 1978 retake

 

7074 Moriwaki Z1, Bol d'or 1978 retake

Moriwaki Z1
Bol d'or 1978
rider; Gream Crosby & Tony Hatton


7073 woman_878

 

7073 woman_878

7072 片山敬済_7 retake

 

7072 片山敬済_7 retake

Takazumi Katayama
TZ350
Imatra 1977


7071 GZ10

 

7071 GZ10

7070 Randy Mamola_12

7070 Randy Mamola_12

Randy Mamola
RG-Γ500  XR45 1983


 

7069 Jonathan Andrew Rea MBE_9

 

7069 Jonathan Andrew Rea MBE_9

Jonathan Andrew Rea MBE
ZX-10RR
Suzuka 2019


2021年8月31日火曜日

7066 宇川徹_5

 

7066 宇川徹_5

Tohru Ukawa
NSR500 2001

 2000年のフランスGP250㏄クラス、宇川の赤と黄色のNSRは散々ロッシのアプリリアに仕掛けるものの、次第に離されていった。それはなんかもう、見慣れた光景で、それでも宇川は諦めずにロッシを追いかけるが、終盤にはストレート一本分ぐらいははなされていたんじゃあるまいか?

 宇川だけの事ではない。’90年代、イチローとか、GPでも原田とかがけろっとした顔で勝っちゃうようになったけど、それより前、それこそすべてをささげるように必死に、ある意味悲壮であるくらいにやっているのに、勝てない。
 高校の2年の夏前、膝の靱帯をやっつけちゃうまでバレーボールやっていたけど、隣県のインターハイでもう優勝した強豪校に練習試合に出かけて行った時のことを思い出したりもする。必死にやっているけど、だんだん、飛べなくなってくる、身体が動かなくなっていく。日本のバレーボール自体そうだったんだが。必死にやっているはずなのに勝てない。そのことが余計体と心を縛っていく。

 必死に追いかける宇川の後ろにちらちらヤマハの中野真矢とオリビエ・ジャックの姿が映るようになり、2位争いという形になりつつあり、トップを退屈に走るロッシを映さなくなったタイミングで、あれ? 今コースわきにアプリリア停まってなかった? ということがあった。アナウンサー氏はオレより気づくのが遅かったが、ホームストレートにロッシのアプリリアが帰ってこなかったことでそのことに初めて気が付いたようだ。

 ポディウムでは、2位の中野はそれなりに嬉しそうだったが、真ん中に立つ宇川の顔は晴れなかったように見えた。ロッシさえいなければ勝てる。しかし、ロッシには勝てない。その事実に顔を歪めるしかなかったのだろう。

 500㏄クラスに上がった、翌年、個人スポンサーを持ち込んだロッシの黄色いNSRとは印象が異なっていたが、宇川とロッシはチームメイトだった。そして、ロッシがいなければ勝てる、ロッシには勝てない、というのがこの年も続いた。ロッシもロッシで、チームメイトの宇川を優先的に潰そうとしていた節があったが。

 いつだったかな、カメラの前で宇川がロッシに勝てないとガチ泣きしていたことがあった。痛々しかった。

 その時から20年か。


7065 F-150 X

 

7065 F-150 X