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旧8号線沿いの、今は第二地銀の店舗になっているが、それはコンビニエンスストアの居ぬきで、その前は昭和40年代に建てられた鉄骨か鉄筋、多分鉄筋3階建ての建物で、解体される寸前、何が入っていたかはわからないが、昭和50年代、1970年代後半、そこにはマツダのディーラーが入っていた。
昭和から1990年代初頭、日本車の走行性能と言えば、世界一、であったが、昭和50年代はまだまだ追いつく途上で、おりしも少年たちの間のスーパーカーブーム、日産のL型にしろ、トヨタの2TGにしろ、チューナーたちが頑張っていたけれど、やはりそこはメーカーが頑張ってもらわらないと、という状況で、で、マツダの12A。ま、がんばれがんばれ、といった感じだった。
当時、小学生でエンジンの型式なんか知ってる奴なんていない。12気筒が偉い。8気筒もなかなか、ぐらいの知識。国産車はせいぜい6気筒が上限。そんなことより、パッカン・ライトである。リトラクタブル・ヘッドライトの事だが、日本車ではあまり見られない、点灯時せりあがってくるライト。これは、もう少年たちには憧れのアイコンで、目ざとい自転車メーカーが少年向け自転車にばねでびっくりする感じで飛び出してくるものではあったけれど、つけて発売してそれなりにうれたんじゃなかったか? 小学校のクラスで持ってたやつ、3,4人はいたと思う。
新聞で、マツダがパッカンライトの車出すというから、旧8号線のディーラーに見に行った。メタリックグリーンの車。メカニックにしてみたら、ジャリ共がうるせえ、うるせえ。「父ちゃんか兄ちゃん連れてきな」とは言われたが、一度だけ、ライトをせり上げ点灯して見せてくれた。