2021年10月16日土曜日

7157 ZXR-7 Le Mans spec. 1989

 

7157 ZXR-7 Le Mans spec. 1989

ZXR-7 Le Mans spec. 1989
rider; Takahiro Sohwa, Kiyokazu Tada, Shoichi Tsukamoto


7156 John Surtees_4

 

7156 John Surtees_4

John Surtees
MV Agusta 500
Ballaugh Bridge

7155 多田喜代一_2

 


7155 多田喜代一_2

Kiyokazu Tada
GPX750R
Suzuka 1987


7154 TE37 Levin_2

7154 TE37 Levin_2

7153 John Hopkins

 

7153 John Hopkins

John Hopkins
ZX-RR 2008


7152 CR-Z_5

 

7152 CR-Z_3

7151 GPz250R

 

7151 GPz250R

7150 Chevelle 1966 retake

 

7150 Chevelle 1966 retake

2021年10月10日日曜日

2021年10月9日土曜日

7134 Steve Jobs retake

 

7134 Steve Jobs retake

Steve Jobs
R60/2

7133 H2_11

 

7133 H2_11

7132 EJ1_4

 

7132 EJ1_4

7131 Anthony Gobert_4

 

7131 Anthony Gobert

Anthony Gobert
ZXR750 1995


7130 Freddie Spencer_47  フレディ・スペンサーとアイルトン・セナ

 

7130 Freddie Spencer_47

Freddie Spencer
0WA8 1989

 フレディ・スペンサーとアイルトン・セナは時折並べて書かれることがあった。信仰の事で、モハメド・アリやカール・ルイスなんかも一緒に言及されていたこともあったし、二輪と四輪の違いはあれど、キャリアのピークにいるときホンダに乗っていて、しかもめちゃくちゃ速く走りが鮮烈だったから。

 しかし、フレディ・スペンサーは、まだ若くその後も彼の時代は続くと目されていながら、500㏄と250㏄の2クラスのチャンピオンとなった’85年の翌年、急激にしぼんでしまった。なんでも、オフシーズン、次の課題を克服するべく、筋トレを励みすぎて、筋肉が神経を圧迫する障害に襲われてしまう。
 clubhouseで知り合いになった、元柔道少女がまさにそれに罹ってしまったそうで、とにかく競技ができないくらいに強烈に痛いらしい。または、競技が続けられなくなるくらいに。そしてそれは何年も続くものらしい。
 何度もここに期するものを持って、再スタートを切ろうとしたみたいだ。ホンダのエースの座はワイン・ガードナーが持って行った。画像の’89年は、フレディと入れ替わりにホンダで走ったエディ・ローソンがチャンピオンを獲っている。しかし、フレディはそれでもバイクにしがみつくも、かつての走りは取り戻せず、そして柔道少女の言によるならば、ずっと痛みを抱えて走り、GPを離れ、米国内のシリーズを走り、やがて消えていった。

 モータースポーツと言わず、スポーツ全般と信仰だ。最近では、大坂ナオミもそれっぽい発言をしていたと思うが、多分、だ、競技の道を突き進むのが神の意志であり、いろいろな迷いがさいなむことがあっても、神の名のもと、時には強烈な使命感をもってわが身を競技に捧げることもある。
 アイルトン・セナは前日のローランド・ラッツェンバーガーの事故で、自身にその時が来ているのだと予感していたのではないか、という記事を見たことがある。しかし、走るのが神に与えられた彼の使命であるとし、悲壮な面持ちでウィリアムズに乗り込んだのだという。(とはいえ、まさか本当にタンブレロに突っ込むとは思ってはいなかったとは思うが)
 筋肉は裏切らないというが、フレディ・スペンサーは、筋肉に裏切られたのだ。しかし、それでも走ろうとしたのは、それが神の意志と信じていたから、なのかもしれない。

 それは、実はまったく別種の自分との戦いだったのかもしれない。レーサーとしてフェイドアウトしてからの彼の事は知らない。2010年代も半ばを過ぎてから、しかし、彼はファンイベントなんかに顔を見せるようになった。多分は一時はバイクなんて見たくもない心境だったと想像できるが、全盛の時のNSR500を駆り、GPの時は走る事のなかった、マン島のジャンプスポットを飛んだりもして見せた。そして、白髪が混じりかつては細面の甘いハンサム君だった老境に足を突っ込んだ男はファンに囲まれ、柔和な笑顔を浮かべながら写真に納まっていた。

 片や、神を信じピーク近くのところで突然天に召された男と、片やひょっとしたら神は裏切ったのではないかという疑念を抱いてしまうような試練を与えられ、今笑顔を浮かべる男。


7129 A1 Samurai_5

 

7129 A1 Samurai_5

2021年10月5日火曜日

7123 Eddie lawson_35 retake

 

7123 Eddie lawson_35 retake

Eddie lawson
KR1000
Suzuka 8h,1980

 10月に入ったというのに、昼間の気温は30度越えで、しかし、異常気象というか、気候がすっかり変わってしまったことに慣れてしまって、今更大騒ぎすることもなく、でも、頭の中ではすっと、ジャニス・ジョプリンの「Summer Time」が流れていて。

 リアルタイムで聴いていたというよりは、2000年頃のタイヤのCMでミハエル・シューマッハの当時のフェラーリF1の走行シーン、当時はもう12気筒ではなく10気筒、でも、そこはフェラーリで、それなりに官能的な音を響かせて走ってるはずの、エンジン音ではなく、いや、一瞬入ったかもしれない。やや遅回しの画像には「Summer Time」が合わせられていて。YOUTUBEで検索したがみつからない。あれは幻だったかな?

 逆光を走るレーシングマシン。夏の憂鬱。1980年のエディ・ローソンの画像を思い出した。で、これだ。

 1980年、4輪の話であるが、3年前の富士で、ピーターソンのティレルに弾き飛ばされたヴィルヌーヴのフェラーリが立ち入り禁止区域にいた観客をなぎ倒したあの事故より、その方面の世界からは遠ざけられ、ましてまだ2輪のレースには興味を持っていなかった年のスズカでの一コマ。

 おそらくはマシンの音とサーキットアナウンサーのレース展開を知らせる声が騒々しかったことだとは思うが、不思議とこれにも「Summer Time」が似合うような気がするのはエディ・ローソンのキャラクターによるものかもしれない。

 あの年の夏は、中学の部活、バレー部で一個上の先輩が全国大会に行った年で、記憶はほぼそれで塗りつぶされている。経験として貴重なものではあったと思う。しかし、必ずしも輝かしい思いでかと言われれば、行ったのは先輩であって、オレにとっては輝かしい思い出だとは…といったところを正直、ここに書いておくことにしよう。

 考えてみれば、賑賑しい所の真っただ中でそれを謳歌した記憶もわずかだし、ドキドキのひと夏の経験も、特にティーンのころはなかった。どこかで憂鬱な何かを抱えていたような気がする。その時はそれを認めようとは絶対思わなかったけれど。







2021年9月26日日曜日

7112 XJ400Z

7112 XJ400Z

 高校の同級生の源君に、大学生か新社会人になりたての時に乗っていたXJ400を描いてくれということだったので。
 色とか訊いていくうちに、「カウル付き」ということで、空冷XJにヤジマあたりの後付けカウル? とも思ったが、件の源君、決して王道を行く優等生タイプではないものの、某大手新聞社の、今は違う部署だけれど、ちょっと前まで記者職でバリバリやっていた人で、よほどうまくつけなきゃ、旧車會系になってしまうような、ヤジマカウル付きの空冷XJに乗っていた可能性は低いと思い、純正のビキニカウルが付いた水冷XJ-Zをこのように。
 いや、やはり空冷の二本サスのタイプといわれたなら、そちらも描くことにする。