2024年6月30日日曜日

8299 綾瀬はるか _8

 

8299 綾瀬はるか _8

8298 F40 _6

 

8298 F40 _6

8267 高山 20210630

 

8297 高山 20210630

8296 ZX-4 _2

 

8296 ZX-4 _2

8295 Alessandra Ambrosio _13

 

8295 Alessandra Ambrosio _13

8294 AE111 Corolla WRC _2

 

8294 AE111 Corolla WRC _2

AE111 Corolla WRC
Didier Auriol 1998


8293 Veilside Fortune FD3S _10

 

8293 Veilside Fortune FD3S _10

8283 Gilles Villeneuve _20

 

8283 Gilles Villeneuve _20

Gilles Villeneuve
Marlboro - McLaren M23 Ford-Cosworth
Silverstone  1977


8292 H2 750SS Mach IV H2R replica

 

8292 H2 750SS Mach IV  H2R replica

8291 志田音々

 

8291 志田音々

8290 P72

 

8290 P72

8289 CB1100RD _5

 

8289 CB1100RD _5

2024年6月23日日曜日

8288 Eclipse II _12

8288 Eclipse II _12

NT0071 「クール・ジャパン」とは則ち「お寒いニッポン」

 国主導の「クール・ジャパン」っていう奴が、どうやら「お寒いニッポン」にしかならなかったっぽい、なんていう話があるが、どういもね、役人頭で考える売りこみたい日本文化と乖離したところで、予測もつかない形で人気が出たりしちゃったりすものがあって、Yamanba-Styleなんて、その昔のロンドンのモッズやロッカーズの流れのようにとらえられている部分があったり、Bousou-Zoku-Styleを思いがけないところで見かけたり、な。アニメだって早々にそこから伝統文化に誘導したかったみたいだが、最近になって漸く、というところなんだが、それにしたって、戦国時代の妙に血なまぐさいものが人気があったりして。

 Mangaのおかげ、「頭文字D」のおかげ、もあってか、Hashiriya、Touge、なんていうのも一部に人気があったりするんだが、今の海外でのJDM人気、考えてみたらオレが若い頃、ちょっと上のおっさん、おにいさん達が、’60年代あたりの欧米のスポーツカーをもてはやしていたようなものかもしれない、と思っている。で、その時ですらすでに没落していたが、その前の往年の英国製ライトウェイトスポーツに対しての80年代当時イギリスという国の状態と、かつての黄金期のJDMに対しての今現在の日本の状態が相関していないか? と、それほど根拠がなさそうなことを思い立ったりもしている。
 それが本当なら、かつての黄金期を知るオレら位の世代は幸せだが、逆に言えば、もうリアルタイムの日本製のその方面のクルマが浮かび上がる可能性が低いということになるけれど、その可能性が結構あって辛い。

 それでも、80年代から90年代前半にかけての方向性を持った今のクルマ、日本メーカーは作っていないこともないらしいが、肝心の本国日本では売らないことにしているらしい。

 見向きもされない、ということはない、が、「クールジャパン」が「お寒いニッポン」になってしまった的な何かがあるのかもしれないし、とにもかくにも、日本メーカーが母国での商売を重視していないというのは、日本では物が売れないから、という、至極シンプルな理由があるのだろう。でも、それだけなんだろうか?

 「The Fast &Furious」シリーズの初期作品では特にJDMが主役級だったが、基本ハリウッド映画。「頭文字D」の実写版なんて、舞台は一応群馬県あたりのはずなのに、キャストが全て中国人、飛び交う言葉も中国語なんていうトンデモで、なんというかな、寂しい、とでも言っておこうか。愚痴やらなにやら、止めども無くなってしまいそうだ。

 まぁ、分からない人間には全て暴走族の一括り、それも仕方ない。誰の意図かはわからぬが、そういうものをこの国からそぎ落とそうという傾向は、大昔からあったけれど、21世紀になってから顕著になった。そういうものが好きだった者としてはそのこと自体、者を申したくもなるのだが、一歩引いたとしても、結構弊害が見えたりはしている。だからといって、この流れが元に戻る事も考えられない。弊害は大きくなっていくだろうが、手を打たれることはないだろう。

 どうも、まとまらないし、分かりにくい文章になってしまう。整理して次回以降。

 

2024年6月22日土曜日

8287 下田沙也加

 

8287 下田沙也加

Sayaka Shimoda
ZN6
Old-Usui Touge 2024

 切り抜きを見ての事ではあるが、今年のモントレーでの下田氏のドリフトの美しさが凄く印象に残った。競技ドリフトの時はS15だが、ラリーの時はZN6らしい。それも新鮮だった。


8286 Emily Feld

8286 Emily Feld

NT0070 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲  2

 マリノウスキーっていう人が書いてるそうだよ。

 異性がもたらす魅力とそれが産みだす情熱的なまたセンチメンタルなできごとは、人間の生存にとって、もっとも重要な意味を持つ。それはまた人間の内面的幸福や人生の妙味、意義などにもともと深く結びついている。それゆえ、特定の社会を研究する社会学者にとって、個人の性愛生活をめぐるもろもろの慣習、観念、制度の研究は、基本的な重要性をもつものである。(マリノウスキー『未開人の性生活』泉靖一・蒲生正男・島澄訳、新泉社、1971年、15頁)

 あ~、うん。誠にその通りだと思うよ。でもな、そうした性愛生活がまるっきり不全な男性が多いのも事実。橘氏のこの本の第一章はそこから始まっている。2021年8月に小田急線車内で男が刃物振り回した件とか10月に京王線車内で同様なことが起こったりしたこととかを例示している。この前のNRとNSXの売却代金を貢いだ挙句のめった刺し50男も同じようなもんだ。みんな性愛生活の不全。

 どうなんだろうな。愛のある生活、素晴らしいと思うよ。でも、持ち上げすぎじゃないか? 性が満たされない、それ自体結構来るのに、社会全体、とまで行かなくとも、大部分そういうモードだと(と感じてしまうと)、満たされないところに、さらに余計に疎外感にまで襲われてしまう事はないか?
 或いは、今日の朝、テレビでやってたよ。AIによる仮想人格と恋をして何となく満たされた気持ちになってしまう、という解決法。AIとまでいかなくても、「二次元サイコー!」とかいって、そういう感じのキャラクターに入れ上げて、っていうこと結構前からヲタクはやっていたけど、まぁ、気持ち悪い、という評価だったわな。ところがそういう感じのものが、一般に広がりだしている、と。まぁ、ぶっちゃけ一種のマスターベーションなんだが、その辺は文明の力でオブラート掛けてる感じ?

 その辺を論じていくと、例えば、歴史上、概ね人々は性愛は満たされていたが、ここに来てそれがうまくいかなくなった、のかどうか、詳しい論考が必要になってくるが、このまま人類は急速に衰えていくんだろうな、核戦争で劇的に滅ばなくても2,3世代のうちに酷いことになりそうな気がする、と、常々オレが感じている予感めいたものが強化されていくような気がする。

 まぁ、それは置いておこう。それでも、まだもがこうというガッツある若者の話だ。
 「愛」は二の次、とにかく「性」に問題が切実なのは歴史においていつの時代も変わらないのだが、とりあえず、それをナンパで解決しようという話。
 ナンパは英語でPickUpArtというんだそうだ。そしてその方法を更に和訳すると「恋愛工学」というんだそうだよ。なんだろうな、この「工学」というのを、結びつきそうにないものにつけちゃう感性。他には「金融工学」なんていうものもある。システマティックに解決まで導く、みたいなニュアンスなんだろうが。
 この本では。恋愛工学に関し、その落とし穴、みたいなことを第1章で書いていて、目次を見る限り「金融工学」はその次に書いてありそうなんだが、「工学」なんて言う言葉を安易につけたがる感性が寧ろ状況を悪化させているような気がする。

 疲れたので続きは次回。

8285 ZXR750 (ZX750H1) _32

 

8285 ZXR750 (ZX750H1) _32

8284 DBR1 _3

8284 DBR1 _3

NT0069 キャロル・シェルビーの時代

 キャロル・シェルビーは歴史上最も幸せなカーガイだった、とオレがここで書いてもおそらくは反論は起きまい。F1の戦績は残せなかったが、若い時はルマンウィナー、カーデザイナーとしてはコブラを世に出し、ルマン優勝チームを率い、そりゃビッグネームとなれば相応の苦労もあったのかもしれないし、プライベートの人間関係までは知らないけれど、老いて亡くなるまで好きな車に概ね最高な形で関われたのだから、羨望が強い。

 が、「Ford vs Ferrari」の冒頭では、心臓疾患でレーシングドライバーからの引退を余儀なくされた、「まだやり残したことがある」「もっと遠くに行きたかった」おっちゃんにいちゃんとして登場する。映画の尺の都合もあるだろう、必要以上に過去に拘泥する描写はなく、ケン・マイルズと二人三脚で、GT40をルマンで勝たせるために奔走するのがこの映画の流れだ。
 どちらにしろ、彼の「やり残した」と言う思いは、レーシングチームやショップのマネージメントに上手く転化されていくわけである。
 苦味も芳醇な旨味も、どのような生き方をしようが味うことになる。苦味を感じぬようにしていれば旨味にも行き当たらず、見るところのない、まして映画の題材になるはずもない、そう言う人生になっていたはずだ。

 さて、前に書いた通り、この頃のクルマというのは随分原始的で野蛮なもので、タイヤの着脱ひとつとっても、名前知らない、ホイールのハブのあたりを大ハンマーで力任せに殴っていた、そういう時代。

 映画のGT40やP330、カレラ910は丁度オレが生まれたくらいの時の最新型スーパーマシン、DBR1やコブラはそれより1世代前のものになるが充分現役バリバリ。で、さ、オレが20代の頃だけど、その時の30代半ば以上のオジサンたちに、やたら特にこの頃のクルマ上げ、現在(’80年代)のクルマ下げ、なことを言う人たちがいたのよ。なんや、このオッサン等? と思っていたが、まさかね、今その心境が分かるようになるとは思っていなかった。
 ぶっちゃけ、今(2024年現在)のクルマの、「これじゃない」感。

 ふわっと、ざっくりと、それが何なのか言えなくはない。まぁ、今のクルマの開発者も可哀そうだ、というか。1方向に突き抜けられない、どの方向に向かっていいのかよくわからない、その実目指したい方向とは違うものに支配されている、そんな感じ。


 

2024年6月18日火曜日

8282 Jiotto Caspita Mk.II

8282 Jiotto Caspita Mk.II

NT0067~0068 同級生S君と童夢

 高校の同級生のS君がまさか京都の北の方にあった童夢に勤めていたとは、オレ自身京都にいた当時は知らなかった。尤も童夢はその後米原に移ったのだが、移転前に、F1やると開発するも成就しなかったはずだ。そのプロジェクトの最後のあたり、服部尚貴氏のドライブで公開テストをやってるはずで、S君もそれに参加したとSNSに書いてなかったかな、どうだったかな。実のところ言うと、高校生の時、美術選択で同じ授業と取っていた以外接点はほとんどなく、寧ろ彼は中学の時オレの従兄弟のトシヒトと同じ柔道部で、トシヒトの方がS君とはよく話をしているだろう。で、童夢がF1をあきらめた時期にS君は日産に転職している、はずだ。子供も大きくなって孫もいるような歳になったので、割と気兼ねなく同窓会に参加できる年頃にはなったが、まだ、S君とは直接会っていない。顔を合わすことがあったら当時の話、聞いてみたいものではあるが

 しかしまぁ、S君、東大卒なんだが、同じ高校の他の東大卒の同級生では国交省の事務次官候補にまでなった奴がいて、そういうのが一般的な東大卒のイメージなんだけど、童夢、なんて、わが道を行っているようでかっこいい。前にKP61の絵をブログであげた時反応してくれたので、東大の自動車部か、そうじゃないところでKP61でダートラとかジムカーナとかやってたのかもしれない。


 それで、だ。童夢が造ったJIOTTO CASPITAだが、年代的にはS君が入る前。MkIがスバル・モトリモデルニ、画像のMKIIがジャッド製、ということになっている。ぶっちゃけ当時のF1のエンジンである。外側のデザインは現在でも十分通用する。というより、今のデザインはこれに精々スリット入れたりとかややこしいウィングつけたりとか意味意義不明の切り返しがあったりとか、その程度の違いしかない。今のデザイナーさんたちもアイディアが出きった所での仕事でご苦労様だ。
 しかしながら、無邪気だったあの時代でしかありえない代物であることは確かだ。今は日本資本はこういうものに絡めない。経済力も然ることながら、社会の流れの中で、という意味で。

 自動車というものへの考え方というか何かが、2010年前後に決定的に変わってしまった。いや、ひょっとしてら、S君が童夢にいたり、オレがクルマも嫌いじゃないけど圧倒的単車が好きだった頃から、何となくそういう未来は、無意識にも予測していたかもしれない。
 ほら、子供の時とかに見た、手塚治虫氏とかが1950年代60年代に描いてた、ちょうど今頃の未来には、クルマは昔のラブホテルの料金支払い時使ってたようなシュートチューブのような感じの透明なパイプの中を浮かぶように移動するようなそういうモビリティになるかもしれない、と思ってたから。そういう手塚治虫氏や石ノ森章太郎氏の流線型というより、もうほとんど卵型の少し浮かんだ、自動車に替わる何かは、一義的には明るく正しい都市の未来像としての描写だった。

 1997年にスカイネットとの核戦争は起きなかったし、2014年にサードインパクトも起きなかったし、今年の春先に「笑い男事件」も起きなかったが、現実の2024年の今は、そこはかとなくディストピアであると感じている。個人的にはこれからの2,3世代で人類というのは急速に衰亡していくのではないかと感じている。
 大人としてそれを軽々に言ってしまうのは無責任であると批難する向きもあるが、納税の義務を果たし選挙権を今のところ100%行使している身としては、それらを行ってもそう感じてしまうのであれば、それを表明する権利と義務があると感じているのでこの様に文章を打っている。
 「ディストピアっぽい」のは、何もクルマに関することだけじゃないけれど、クルマを起点に掘り下げて考えてみてもかなりの事が見えるのではないかと思う。


 

2024年6月17日月曜日

8281 小倉ゆうか _4

 

8281 小倉ゆうか _4

8280 白石ひとみ _7

 

8280 白石ひとみ _7

8279 E-CE9A EvoIII _2

 

8279 E-CE9A EvoIII _2

8278 CTS-V VR1200

 

8278 CTS-V VR1200

8277 平忠彦 _37

 

8277 平忠彦 _37

Tadahiko Taira
YZR250  1986

8276 GPz900R _30

8276 GPz900R _30


NT0065~0066 もっと遠くに行けたはずなのに

 さて、https://selgeykattvinsky.blogspot.com/2024/06/8272-gsx1100s-38.html
の冒頭においてご登場いただいた、昔美少女今画喇叭地おばさんの話である。人の内面をあれやこれや勘繰ることは失礼な話ではあるのだが、そこはまぁ。
 一つには書いた通り完璧超少女へのコンプレックスもあったのだろうが、一方で、そういうことを感じている自分自身へのいら立ちもあったのかもしれない。そして薄らぼんやりとだが、そういうことを感じずにいれたなら、そんなおもいに脚をとられてなかったならひょっとしたら今の自分とは違う自分がいたんじゃないかという思い。
 あわてて言い募るのは、決して現状、今のご主人とか家庭とかに不満があるわけではない、ということ。それも嘘ではないだろう。なかなか二枚目で聞く限りパートナーとして理想的な男性であるように思われる。しかし、他のあり様があったのではないかという思いが、極偶に去来するようだった。

 オレ等が出た高校というのは、結構な進学校で、で、大学を出て社会に出るころというのは、特に女性にとっては時代の境目で、ひょっとしたら結構な企業でそれなりのキャリアを積んだ人生があったかもしれない、と思っているのかもしれないし、そうなりゃパートナーだって、今の二枚目のご主人じゃなかったかもしれない。
 あるのは、コンプレックスに囚われて、ひょっとしたら何処かで選択を間違えたんじゃないかという恐れ。それが酔った勢いで顔を出す時がある、という事なのかもしれない。


 あの時、なぜ、アクセルをもうひと捻り、ひと踏み開けられなかった? あの時はそれで仕方なかったのさ、と言ってしまえばその通りなんだろうが、誰に知られているわけでもない、知られても構わないが知られたくない、あの時オレはほんの一瞬サボってしまったのかもしれない。それがなければ突き抜けられたんじゃないんだろうか? もっと遠くへ行けたんじゃないだろうか?

 オレなんてそういうことだらけで、若い内はどうしたらリカバーできるかなんて深刻に考えていたかもしれないが、さすがにそんなことも考えなくはなったけれど、オセロの一手で、ピースが全部ひっくり返るような、そういうことをつい考えて、ひとり恥じ入ることが偶にある。そう言う事が一切なくて若い時から意志したことを全て実現してきて人間は今頃一廉の人物になっているのだろうが、オレなんぞは遂にその辺いいる凡夫である。
 一廉であろうがなかろうが、凡夫であっても構わないが、突き詰めれば誰かに理解されなくてもいい、っていうか、誰かに理解される以前、或いは自分のコアを中心にすれば誰かよりもはるかに内側で、あのときなぜアクセルを開けられなかったんだろう? そういう思いが「若い時のやり残し」として、いつまでも自分の奥底にこびりついている。


 

2024年6月16日日曜日

8275 Melanie Iglesias _79

 

8275 Melanie Iglesias _79

8274 NR _2

8274 NR _2

NT0063~0064 NRとNSXをうっぱらったお金を貢いだ挙句クソ女をめった刺しにした彼へ

  多少器量が劣っていても心が綺麗ならば、などと昭和の伴侶の求め方、条件としてあったように思うが、器量が劣っているが人当たりがよければ「性格がいい」という誤解というか幻想というか、がいつしか生まれ、しかし、ここで言葉が反転し、器量が多少劣っているが性格が輪をかけて最悪だった、というのが木嶋佳苗死刑囚だった。これを打っている時点では刑は未執行で、再審請求とか出てるんだろうか? それが通るような新事実というものはなく、4件の殺人容疑の起訴、1件の未起訴、3件の結婚詐欺罪、3件の未遂、1件の窃盗罪。死刑に関るのは専ら殺人罪のほうであろうが、これらの容疑をすべて否定することは不可能と思われるがどうか?

 50過ぎの未婚のおっさんたち、若い綺麗なコとか狙わず身の丈に合った、しかし長く一緒に居れそうな女性を選んだはずが、保険金かけられて殺されたのだ、と理解した。正直、これで婚活などと言うものに腰が引けちゃった男性も少なくないんじゃないか、少なくとも過大な期待ができるものではなく、すぐに逃げられる態勢で臨む、特にそれなりに年齢を重ねた男性が増えてしまったのではないか?

 では、何を頼りに望ましいタイミングでパートナーを得られなかった男性は、相手を探せばいいのか? 諦観がひとつ深まったように思うのだ、この2007年から2009年にかけて起きた事案では。


 であるのに、もしいたならば自分の娘ぐらいの女性に懸想して、自分の命の次くらいに大事なクルマとバイクを売り払ったお金を見継いだ挙句、見継いだ途端に冷たくされて、その女性をめった刺しした、オレよりほんの少し若い男の話。

 この際、相手の女がクソで、めった刺しされても仕方なかった、という見解に異は唱えない。しかし、男の方、なんで、こんなクソ女につかまったかなぁ、とは思う。他の誰のためでもない、彼自身のためにめった刺しなどするべきではなかった。いや、別にしてもいいんだけどね。


 言い分として、詐欺同然に何千万取られたのに、警察等はまるで救済してくれないから、などという、まぁ、言ってみれば自力救済。NSX1台、NR1台の売却金額分、どうしたら気が済むか、というのが詰まるところなんだが、それがクソ女一人分の命とめった刺しする時のカタルシスというのであれば、それも、なんというか、安上がりというか、NSXとNRが哀れというか。


 一番の悲劇は、その方面、まるで練れることなしに50何年か来てしまったことか。「なろう」あたりの、ざまあがテーマのラノベ読んで喜んでる童貞クンたちと何ら変わらぬ人生と人への洞察の浅さを感じる。しかし、それでも目の前の、見た目はそこそこの女がクソかもしれないという可能性は思い浮かばないか? その辺、50何年かその方面砂をかむような思いを何度もして漸く自分だけのヒロインに巡り合えた、なんていう、童貞くんみたいな気持ちになっちゃったんだろうか?


 NSXとNR、十何年か保有していたらしいが、ちょろちょろっと動かして満足していて、突き抜けたように走り回るようなことはしていなかったのかもしれぬ。NRなんてひとコケいくらかかるかわからない。結局のところ、多少の、どころか立ち位置次第では死ぬほど努力しても今の時代、思った伴侶など得られない、というケースは珍しくなくその方面、早々に絶望的と判断すべき男子は多いのだ。その時に生まれるいろいろな心のぐちゃぐちゃを吹っ切る突き抜けるための物であってほしかった。そりゃね、愛とかパートナーとか家庭とか至上の価値を持つもので、という人もいるだろうが、そうじゃない、そもそもどうしたってそういうものが得られないという奴もざらにいる時代なんだから、そういう価値には早々見切りをつけたっていいのである。じゃあ、そういうものを除外するとして他に何を価値とするのか? 何のために生きるのか? それをのんびり、ある時はシャカリキに探す人生だってあっていい。クソ女のために自分の人生終わらすというのは、・・・いや、それも人生か。


8273 499P

 

8273 499P

499P
Spa-Francorchamps 2024



8272 GSX1100S _38

8272 GSX1100S _38

NT0061~0062 心に帯びたモーメントの何と面倒な

 同級生の女性の話だ。一度うちのブログにも登場している。かつての美少女、今や画喇叭地のおばさん。飲み会で2回ほど、そこにはいない別の同級生女性に対するコンプレックスを愚痴る事につきあった。いや、彼女だって、すらっとした美女で何人アンタに対しコンプレックスを感じていただろう、と、思ってはみたが、そんなのお構いなし、相当思春期には重いものだったらしい。

 彼女とそのコンプレックスを抱く対象の女性、決して仲が悪かったわけではない。いや、見た目、寧ろ良好なように見えた。実際、その場にいない女性を嫌いとか言う事ではないらしい。が、まぁ、なんというか、完璧超人な女の子ではあった。それはよく覚えてている。オレも。

 とはいえ、そんなことを聞かされたとて、気にすることはなかったんでない? なってつまらない事しか言えなく、そのつまらなさ加減にはオレ自身がうんざりしたりしたが、他に何言いようがある? とその時は思っていたのだが。


 同じ飲み会で、やはりその場にいない男性の話題になる。高校生当時、件の完璧超少女と付き合ってた奴の事だ。今は陽キャ陰キャとかスクールカーストとかなんて、結構まじめでつまらないおじさんおばさんが目くじら立てそうな言葉、中高生を中心に使われているそうで、オレたちの頃はそんな言葉はなかったけれど、そんな感じの今風の言葉で言えばスクールカーストのてっぺんにいる陽キャ、だったのだが、さて、そいつと完璧超少女、大学も此処とは離れた同じところに進み、しかし、分かれて何とかかんとか。そいつは別の同級生だった女のコと結婚し、完璧超少女の方は、大学の割と近所に実家がある男性と結婚して・・・、まぁ、時々そんな話を聞いていた。よくありすぎて今更な話なんだが。


 でさ、その男の方なんだけど、どうやら振られたのか、とにかく結構長い間それを引きずっていたんだと。んで、本調子でなかったせいなのかどうかは知らないが、結構トラブルにも巻き込まれたりして、かつての陽キャも大人の今となっちゃ、どうもパッとしないらしい。って、おい、もう、オレ達、孫もいるような年代だぜ? って。


 いや、さすがに未だに引き摺ってるなってこともあるまいよ。それは彼に失礼かも。ただ、それに囚われて本来もっと他の事に目を向けエネルギーをかけなくてはいけないタイミングでそれができず今に尾を引いている、ということはあるかもしれぬ。

 んで、そういう言葉全部オレにブーメラン。



 若い時に、少年の頃に、何となく抱く将来のビジョンだったりなりたい自分の理想像だったり。その為にそれぞれなりに努力はするんだ。しかし、客観的に見当違いだったり努力が足りなかったり、或いは単に運が悪かったりして、そのとおりにはいかなかったりするのが大多数で。異性ー伴侶の話になると、それは顕著でさ。その事じゃなくても。

 さっさと切り替えて、なんて、他人だから言えることで、それまでが上手くいってた奴なら尚の事、又はそいつなりにとてつもなくエネルギーをかけてきたというのであっても同様。なかなか、それまでの自分の心のモーメントにストップをかけたり方向を変えたりというのができないものだ。それをしないというのが如何に馬鹿げているかは重々承知の上で、だ。


 仏門の偉いお坊さんとか「執着を捨てよ」とかいうけど、それができれば世話がねぇ、ってね。まぁ、多くの人間は、それができないから、宗教なんて言う商売がこの世にあるんだが。いずれにしろ、如何に不親切な言葉であることか。


 執着、いろんな意味を含み得るが、この際は、若い頃、幼い頃に思い描いた理想の将来の自分像への撞着と乖離することの苦味だ。


 本当はもっと遠くに行けたはず、というところで慚愧に堪えないけれど、とりあえず今と今からが大事なのは、いくつになっても変わらない、というのはみんな思ってることで、冒頭の、昔美少女今画喇叭地おばさんは、何とか「今」に意味を見出そうとエネルギッシュだ。昔陽キャの男も、近況、よく知らないけれど、ずっとそう思ってやってることだろう。



 子供の時に好きだった女の子の話は置いといて、時々、ブログで取り扱う、ポルシェをぶっちぎりたいオジサンとか日本の旧車の話とか、って。考えてみりゃ、両方ポルシェなんだな。言葉で書き出してしまうと、ポルシェをぶっちぎることに何の意味があるのか? ということになってはしまうが、そういう馬鹿な事でも、悟りを開いたように、割り切ったように、そんな気持ちが収まってしまうと、実際人生の大部分が本当に終わってしまうような気がしている。



8271 Ayrton Senna da Silva_27

8271 Ayrton Senna da Silva_27

Ayrton Senna da Silva
MP4/6
Phoenix 1991

NT0060 1994年5月1日のこと(正確には日本時間で2日のこと)

 本来京都の北山というと結構広い範囲を指すのだという話を聞いたことがある。岩倉から鞍馬、花脊、雲ケ畑もそうだ、と、誰かが言ってたような気がするが、まぁ、バブルの頃はそんな山奥まで行かない、植物園の北っ側の、京都にしてみれば割と新しめの区画整理がされたあたりを指していた。景気がよかったころだから、京都中心地の若旦那が金に物を言わせて、なんか変な建物建てたりスカしたブティック何かが結構立っている地域だった。今はどうなんだろ? 最初の成り立ちから言うとそうじゃない気もするし、案外そのまま今まで来ているような気もする。

 建築中の鉄骨3階建ての1階、半地下みたいになってるスペースにコンクリートブロックを何百個かオレと50手前のおっちゃん2人の人力でトラックから運び込むというのがその日の仕事で。


 初夏であったから、そこそこ暑かったはずだ。で、汗かきのオレであるから真夏のように汗をかき、その日の相棒のおっちゃんや元請けの監督に揶揄われていたはずだ。今もそんな感じだから多分そうだったのだろうという程度の記憶。晴れてはいた、快晴だった。それは間違いない。


 それにしても前夜、オレはテレビを持っていなかったが、隣室の男の部屋から聴こえる、F1中継の音である。いつもにもまして大騒ぎだったけど、何を言っているかわからなかったけど、イマミヤさん、泣き叫ぶような声だったのは聴こえた。何かあったらしい、尋常ならざること。コンクリートブロックを手で運びながら、ずっとそれが気になっていた。


 とはいえ、夕方になるまでそれが何だったか知るすべもなく、夕方帰りのコンビニで売れ残りのスポーツ新聞を買ったか何かして、漸く前の晩のイモラ、タンブレロでの大事故を知る。この時点では情報はまだ錯綜しており、希望的観測もなくはなかったが、しかし、レスキューが駆けつけた時には黄色の「彼」のヘルメットからは脳漿があふれ出しており即死であったらしい。2,3日の内にそれは明らかになる。


 彼のFW16は、流行りの吊り下げ式ウィングのハイノーズではなかった。そうであったならもっと象徴的だったかもしれないが、雄々しいファルスがへし折られたのだ、と、何が時代の大きな潮目を感じてしまった。

 彼の死について、間違いなくショックではあったけれど不思議と悲しいという感情は大きくなかった。ただ、大きな挫折も停滞すらも良しとせず、何よりも前進を第一とした意志の結末に出会ったような気がした。これから人類の何かは坂道を、場合によっては転がり落ちるようにして降りていくのだ、そのように感じた。オレにとってのその時の日付は1994年5月2日。現地時間では5月1日のことだ。



 

2024年4月29日月曜日

8270 GSX1100S _37

 

8270 GSX1100S _37

NT0058,0059 首都高の青い鳥~キリン

 思い出してみたら、どちらも若い頃の不完全燃焼から来る拗らせオジサンの話だった。しかも作中の彼らは今のオレより若いと来てる。参ったな・・・。けじめを然るべきときにつけられなかった、故の迷走であるが、その然るべきにつけられなかったら最後、作中の彼らは一応けじめがついてすっきりした顔をしているが、いや、違うだろ、拗らせたら最後、限りなく同じ形をしていてしかし別の呪縛になるようなきがするんだが、どうか? 老い、いよいよ走れなくなるまで走ることを強要してくる呪いだ。
 さもなければ、彼らみたいにどうやったって敵わない、笑っちゃうくらいレベルが違う若い奴に情け容赦なく追い抜かれていくか。そりゃね、そうなっちゃったら実際は悔しいに違いないが、自分自身の痕跡はここから無くなっちまうかもしれないけれど、オレがいた場所は確かにここだった、とか感じながら消えていくんだろう。呪縛から解放された魂はようやく成仏するってわけだ。

 魂のうちの幾漠かはそこで成仏しても、しかし、その後の時間というのが確かにあって。そこで終わっときゃ、ひょっとしたらいい話で済んだかもしれないが、若い時には経験しきれなかったみっともない思いもすること、多々あったり。それも、ま、然るべき時にやり切れず何をどうしても、若い時にやりたかったことやったのに、拗らせてしまう要因ではある、ような気がする。

 んでさ。拗らせてしまうほど、何をどうしたかったのか? と考えた時に、突き抜けたかったんだろうな、みんな、と考えた。オレもなんだが、これっぽっち書いただけでは、そういうことに頭を巡らせていないと、何のことだかちっとも分かんねぇ、って。多分オレだって若い時は、突き抜けたいと思っていたはずなのに、老いてしまうとそういう時の気持ちを忘れてしまってる。きれいさっぱりと。で、だしぬけに、何をどうしたかったのか? と問われたりなんかしても、なんかピントの外れたことしか言わないような気がする。

 以下、今流のジェンダー論とは多々相容れない理屈だが、思いつくまま、まずは書いてみる。女性は子宮を持って生まれた時点でどうやったって女性なのである。後は個々の選択だし、病気などの事情を抱えた人にはまぁ、申し訳ないとしか言えない。男性は、男性に、何かになろうとして、初めてそういうものになる。思わなければ、その辺の有象無象、今流に言えばモブ以上、いや、それにすらなれない。何かうごめいているが、せいぜい背景として自己主張もせずおとなしくしていてください、と、言われてしまうような。

 若い時なんて言うのは、それぞれの人生の中で一番脳細胞が動いて、勢い、要らんこともいっぱい考えてしまいがちになるものだが、まぁ、そういう奴らの中で一定割合、どれだけかは知らんがな、何のために生きているのか、うまれてきたか、自分の存在意義、そんなもんを考えてしまうわけだ。んで、もって若い時はそれへの回答のヒントにもまた乏しい。それはそれで苦しいもので。
 最初から考えない奴もいるし、ちょびっと苦しいと思ったらさっさと考えるのを止める奴もいる。そんな奴を、若い時なんて特に蔑みつつも、いや、ちらとも蔑むような感情を持ってしまったら最後、と言うべきか、思考の沼にはまり込んでいく。

 そういう奴らの精神と思考はとてもバランスが悪く不安定だ。オレの場合は、ということで書くならば、そういう時に限って、いや、ずっと、今も、か、人の言う事に聞く耳を持たない。
 でも、そこから突き抜けたいと、ずっと思っているのだ。そうじゃないかい?

 青い鳥は、何も考えていないような主人公にぶっちぎられたときに、自分の”果て”にたどり着いたのだと感じ、キリンは女に出会い、結果的に薩埵峠近くのガードレールから飛ぶことにはなったけど、そういう場面で、彼は、ひょっとしたら昔ならアクセルを戻したタイミングでも回しきれたという事実により、吹っ切ることができたようだ、一応は、だけど。

 さて、自分が何者か?という問いが、なぜか異様に重い問いになってしまっている奴。今はね、あの時から、更にアニメとかラノベの異世界に行っちまえば現世のその重さから解放される。苦しいのはそれだけじゃないけれど。エルフやけもみみの美少女が慰めてくれる。重いことを考えなくてもね。
 でも、多分いる。それを良しとせず、さりとて、「無敵の人」となって周り巻き込んで爆散してしまうわけにもいかないと思って、ひとり重さに耐えているのか耐え切れず潰されそうになってる奴。
 あぁ、そうか。エルフ、けもみみのかわりの単車だったり、チューニングカーなどと言うのもおこがましいボロボロの何か弄った車だったか。そうので、あと少しアクセルを開ける、その感覚を夢想し、それを実際にやってみたかったんだ。それが、いってみれば「突き抜ける」ってこと。

 まぁ、なにをやるのかなんて、答えは人それぞれなんだが、今いる境地なんて、そいつならではのもので、周りには誰もいない、寒風吹きすさぶ荒野のようなものだ。ぶっちぎってくれる若い奴も寄り添ってくれる若い女もいない。いないからやらないのか? そうじゃないだろ?って。

 ネットでいろいろガス抜きも出来る時代に、しかし、そこに言葉をあげて散らしたりせず、重さの純度をひたすら上げている奴も、きっといるだろう。そういう奴に、幸、多からんことを祈る、としか言えないが心からそう思う。


2024年4月27日土曜日

NT0057 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲

  岡田斗司夫氏に教えられるまでもなく、橘玲氏の書くものには、一定の共感というか、目から鱗というか、うん、尤もだ、がありまくりで、こういう物書きを知るというのも、20年に1回ぐらいじゃないかしら、と思うが、あまり持ち上げてもしょうがないか。


 最初に意識の中に入ってきたのは、彼のリベラルに対する深い失望を書いた文章だったように思う。決して、ネトウヨ的保守主義者ではなく、寧ろの反対の立ち位置に居たいのに、どうにもダメ~な奴しか、その界隈には見当たらない、的な文章だったように思う。オレは誠にそうだと膝を叩いた。ぽ~ん!と。



 さて不摂生でこの身にまとわりついた脂肪はいろいろ不都合を引き起こし、可及的速やかに、しかし無理をせず、取り除かねばならないわけで、GW初日だ。しゃこしゃこと部屋でエアロバイクを漕いでるわけなんだが、そのお供として、講談社現代新書の橘氏の「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」。


 うん。ディストピア。社会としてこの絶望的な状況を何とか出来る処方なんてないのだ、というのが橘氏の主張。だから何をしてもいい、というわけではなく、完全に諦めたわけではなく、現状認識としてそれはそれ、何か出来ることはないだろうか? 方向を探すために思考して、その中で生まれ出てくる、氏の著作群と捉えている。

 ならば、この状況で個は如何に動くか?、動くべきか? そういうことなのだろうか? タイトルだけを見て、そのように想像した。


 しゃこしゃこしゃこ。


 第1章は、非モテが如何に超絶ナンパ師になるか?という話。これはオレが何十年前から思っていたことだが、要するにだ。女性が男性をパートナーとして選ぶ基準というのは、自分という個体と子孫=遺伝子の保存のために最も有利そうな相手、ということなんじゃないか? ということだが、これは、この分中にも書いてある通り、生物は遺伝子の乗り物である、という何十年前に聞いた説のオレなりの解釈以上のものではない。

 偶にこの基準が壊れた女の人の話も聞く。ダメンズとか。でも、まぁ、それは、次善に次善を重ねるうちに、基準が歪んでいったということで、そういうことで、少なくとも自分の当座の精神の安定は得られる、そういう選択と考えられないこともない。

 或いは、お眼鏡に叶う相手がいなければ、おひとりさまという選択もある。これは遺伝子の保存というよりは、個の安定が優越してしまった結果なんだろう。何はともあれ遺伝子の保存、という事ではないらしい。

 そういう基準、その為の行動原理を突いてやれば、ナンパもし放題、そういう男の話であるらしい、第一章。


 ちょっと思うことが増えたので、本はそこで閉じた。物思いに深けながら、汗かきつつペダルを動かすのであった。


 しゃこしゃこしゃこ。

8269 Sport 1000

 

8269 Sport 1000

8268 S30Z _54

 

8268 S30Z _54

NT0056 カゲロウのように現れた白いZはカゲロウのように走り去っていった話

 小学校の時の学校の帰り道だ。


 まさか、大人になって仕事の付き合いが出来るとは思わなかったアラタ鉄工、小学生の時はまだ田んぼだった、でも、今から書くことがあった、割とすぐあと、田んぼは埋め立てられ保育園になった。角を曲がれば同級生のスイモンの家の前に行く道を曲がらずにまっすぐ行けばまた田んぼ。で、その次がナカオ製作所。そこから嫁に出た娘さんがピアノの先生で、妹やオレはそのピアノ教室に通った。まぁ、おれは、5年生の秋口から中1の夏までの2年弱だったけど、妹は結構長く通ったかもしれない。そのナカオ製作所は今は無く、工場は無くなり造成されてこじんまりとした戸建てが並んでいる。このあたりでナカオと言えば、今じゃ中心市街地を挟んで西の方にある和菓子屋さんの支店であって、ナカオ製作所をググっても、三重の方とか他所のナカオ製作所は出てくるが、当地にあったナカオ製作所は、どこにも影も形もない。あの工場で何を作っていたのか? 当地の事だから金属関係かな、とは思うが、それも全くわからない。

 ある学校帰りのことだ。あ、そうそう、アラタ鉄工やナカオ製作所に行く手前、この時はスーパーだったオタルヤは今でも惣菜屋さんの「おたるや」として営業されているのかどうなのか、看板はかかっている。その前に差し掛かった時だ。
 ナカオ製作所の前は、南側から来ればゆるい右カーブ、学校から南に向かえば左カーブになっている。そこを、普段には見かけないクルマが曲がってきた。


 折しもお子様たち、特に男の子たちの間ではスーパーカーブーム。自分達の父親の退屈なクルマではなく、なんか、もう現実離れしたクルマにあこがれたものだ。
 まぁ、今から思えば、ウチの父の510SSSもなかなかシブいクルマではあったんだがね。


 学区内では、もっとウチからは学校を挟んでずっといったあたり、何とかという喫茶店の前、やら、隣の学区、市場の方、やらに、ポルシェの924がとまってるとか何とか。田舎だからその方面のクルマの話はそれっきり。


 で、だ、ナカオ製作所の前を曲がってきた、ちょっとこの変じゃ見かけないような、白いクルマだ。遠目に、ポルシェ911かな?とか思った。901ボディの所謂ナローポルシェって呼ばれてるなんて、大人になって知ったけど、この時は、ターボの太いバンパーではなくて、ライトの下に、下瞼のようにウインカーがついていて、細いメッキのバンパーがついてるやつ。それかと思った。


 近づいてくる。違った。フェアレディ―Zだった。外車のスーパーカーよりは随分普通で、ちょっとがっかりしたが、反面、この存在感は何なのだろう? すれ違って、学校の前を通り過ぎ走り去っていく所を、振り返って呆けた態で見ながら、そんなことを思っていた。


 日本車が、販売数では、ほぼほぼ勝つことできて、性能面でそういう車を凌駕する、ちょっと前の話だ。



2024年4月26日金曜日

NT0052~0055 次の大地震1 わが身に起こったことから始める

  何も元旦から来なくていいだろ、大地震、というようなこと、これで2度目?3度目? 文章にして打っている。そんな、何もこの日じゃなくたって、というやつが、よりによってわが身を掠って行った。

 自覚的に180度方向転換する、なんていうこともないのだけれど、この地震が、ひとつ、変る節目になるんじゃないかという予感がある。自分自身も、この社会も、だ。

 いろいろもやもやッと浮かんでは、消えずに何か堆積していってて、わが思考ながらウザい。でも、なぜ消えないかと言うと、それなりに大事なことなんじゃないかと、何処かで考えているからだ。


 いきなり、な、突拍子もなく政治、社会、経済、天下国家の転換を説いても、我ながら、あ~、はいはい、だし、かと言って今後一切そんなことを表に出さないつもりもまたなく、っていうか今じゃないが近いうちになんか言うつもり満々なんだが、綺麗に論理だてて申し上げることはひょっとしたら、っていうか、多分出来ない。せめて、自分の中の或る思考から、関連ある形で連ねるように考えていきたい。


 まずは、これ1月4日にもこの内容の事を書いたんだが、起点はやはりというか、我が身、という事にしたい。


 2024年、令和6年の元旦の夕方、オレは何をしていたかと言えば、中途半端に増えて壁に陳列しきれなくなったミニカーのコレクションを並べる棚の増設の工作をやっていた。

 今更、正月が特別めでたく感じるようなことも、正直言って無く。これで、子供や孫がいればかなり違っていたのかもしれない。老いた両親にはついに孫を抱かせてあげられなかった。毎度忸怩たる思いが胸を衝くが、まぁ、今更何を言っても仕方ない。そろそろ相当弱った両親を気遣い、西宮の妹が月一で帰ってきている。正月は正月だが、正月の帰省という感じは少々薄い。

 テレビも、昔、子供の頃は正月は特別感を感じられるものだったが、そんな感じも今や全くない。そもそも、食事の時にニュースを見る以外、テレビ何か観ない。あ、そうそう昨晩の紅白歌合戦、あとでYOUTUBEでyoasobiの「アイドル」の分だけ視聴したが、まぁ、日本のアイドル、韓国のアイドルがそろって、にぎにぎしく踊るという演出で、うん、最後の結果発表だけ見たんだけど、紅組勝利、ここまで昔の紅白の終盤を思わせるような盛り上がりがあれば、紅組勝つよな、と、まぁ、アンチ韓流からの批判はあったものの、よかったんじゃね?という感じで。

 閑話休題

 4時過ぎだ。確かサッカーの日本代表がタイと親善試合をしているはずで、1階の居間で両親と妹がぼーっとそれを見ているはずだ。子供部屋おじさんたるオレはそんなわけ2階の自室でネット覗きながら工作なんぞ。


 揺れた。まぁ、珍しいことではないが、少々いつもよりは大きかった。ネットで地震速報を確認し、ネットからツイッターに書き込もうとした瞬間、


 超デカいの来ました。今までにないくらい。机の下なんかに潜れない。本棚が倒れてきたら詰む。本当はやっちゃいけない対処だが、立ち上がり近くの本棚を抑えた。そんなわけで抑えた本棚からはそうでもなかったが、その他の本棚から、雪崩のように本が落ちる。たちまち膝上まで本に埋まった。

 東日本大震災の時に撮影された映像で、物に埋まりドアが開けられなくなり逃げられなくなって途方に暮れた、という内容の物があった。それを思い出し恐怖もしたが、やがて揺れは収まる。

 そのころには、うわぁ、これの片づけめんどくせぇ~、なんて思うようになっていた。

 そうこうしていると、これだけ揺れて1階に降りてこないオレの様子を見に妹が上がってきた。「あ、今行くから」と、言って、オレは脚を本の山から引き抜き、下に降りて、テレビを見た。さすがに地震速報をやっていた。これだけの揺れだものな。珠洲なんだそうだ、街並みと海岸を交互に映していたが、女性のアナウンサーが「津波警報です!」と絶叫した。


 当地、富山県で事前に想定されていた津波というのは、砺波平野頭部~呉羽断層の北東側の延長線上、日方江沖5キロが波の起点の物で、波高が最大5m。海岸線より8キロ以上離れている我が家にまで津波は来ることはないと、ハザードマップには書いてある。


 と、


 「大津波警報です!!」アナウンサーの声がひっくり返るくらいに更に切迫した声が更に切り替わる。津波警報で3m、大津波で5m。ハザードマップを信じるなら慌てることはない。のだが、のほほんとしてちゃダメなんじゃないかと考えたりもする。それくらいアナウンサー氏の声は切迫したものだった。


 車を止めてある場所の隣りがボロ屋で、倒壊したらオレの車も廃車である。外に出てそんなことはなかったことを確かめて、テレビではアナウンサー氏のほかに解説委員の人もしゃべっていて、「津波タワーに避難して・・・」なんて言ってるが、この辺、そういうものはないんだよ、と思いながら、二階に戻る。


 さ、オレはどうしよ? 途方に暮れる。PCもケータイも本に埋まっているのだが、会社からBCPの所在確認メールが来るはずで、それに答えなきゃいけない。まずはケータイの発掘かぁ・・・、気が遠くなるような気がした。まぁ、ね、家が倒壊した、その下敷きになった、津波で家が流された、という方々から比べたら、屁みたいなものだが。



 この地震で建物が壊れてしまった、全壊、半壊、様々なんだろうが、印象として、直接的に揺れによって破壊した家屋と、液状化によって地盤が変位したために壊れてしまった家屋に大きく分けられるような気がする。あと、津波によって、というものもあるか。

 とくに強い揺れに見舞われた地域、輪島市、珠洲市、能登町、志賀町、穴水町。完全に倒壊、倒壊しなくても全壊認定の家屋と、水道などのインフラが破壊されて不便はあるもののこのまま住み続けられるであろう家屋の違い。

 誤謬があれば正していくとして、これはこの期間、主にネットではあるが得た知識から言わせていただく。


 建物の耐震基準というものがあり、制定された年度により、3種に分けられるようだ。


 〇1981年度以前

 〇1982年から1999年まで

 〇2000年以降


 この3種で今回の地震、明らかに倒壊率に差が出たようでである。これから新築する分には自動的問答無用に2000年以降の基準が適用されるから良いとして、それ以前の家屋、我が家など竣工が1971年であるから、震度6の地震があったら一発だ。

 何が違うか。どうするか。この辺ちゃんと構造計算のできる建築士に確かめた方がいいが、ネットで得た知識として


 〇柱と梁の接続が切れないようにする。

 〇水平方向の力がかかってもゆがんだりたわんだりしないようにする


 こういったことが、2000年基準に盛り込まれているらしい。梁と柱、ほぞのみでつないでいるならば接続金具で補強するとか、可能な場、柱と柱の間に筋交いを入れるとか、そういう補強だ。

 あと、壁量。窓、開口部が多いとそこが弱くなる、という事らしい。


 阪神淡路大震災、東日本大震災、まだある、中越地震、熊本地震、胆振地震。度あるごとに耐震補強の重要性は説かれてきたが、特にこの地方、耐震化はなかなか進まなかった。



 土砂災害について。直接的に家屋が巻き込まれたというものもあった。発災直後、輪島市一ノ瀬で撮影された土石流のごとき地すべりの動画が広まった。幸いこの画像で土砂に巻き込まれた家屋の住人は避難していたようであるが、穴水では奥さんの実家に帰省していたまだ若い警察官の方、奥さんと3人の子供が裏の土砂が崩れたものに家屋が倒され家族を一瞬で亡くしてしまった悲劇とか他にもいろいろあったようだ。


 地震じゃなくても豪雨災害の土石流で同様のことが何やらこの何年か毎年起きている。


 家屋倒壊も人命に直接的に危険に晒すけれど、今回道路損壊も深刻であるという印象を持った。もともと奥能登の道路事情に対し道路の本数、舗装強度ともに貧弱なのではないかと感じていた。のと里山海道という高規格道路に区分されているようだが、地震や台風豪雨のたびにどこか崩れているような印象があるのだ。

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