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2022年5月5日木曜日

7487 CB750four_64 & あ~、参ったな

 

7487 CB750four_64


 別筋で、twitter掘ってて、青木俊氏のツィートに何か感じるものがあったのか、「陸自一佐 逮捕」という検索をかけてみたのだ。

と、秀島裕展という名前に行き当たる。何しやがった、この秀島某という男? と思って調べると直接の容疑は銃刀法違反なのだが、ここで顕正会の名前が出てくる。秀島某は会員だったそうで。

 続けて掘ってみると、出てくるわ出てくるわ、顕正会の問題行為。しかしだ、それを扱うどのサイトも、日蓮正宗や創価学会会員によるサイトらしく、事実なんだろうが、それを問題にしているのは、法華宗系の内輪もめ、内ゲバっぽいのである。おそらく、逆に正宗や創価学会の問題行為を題材にしたサイトでは顕正会会員が運営したものも出てくることだろう。 多分事実でないことはないにしろ、どちらのあちらに対する批判的記事も殊更大げさに書いてあるに違いない。

 顕正会会員が起こした事件としては、平成21年の1月新潟でのものが調べた中では最新のものとなっている。FBIからは、オウム系は当然としても、法華宗系の中で創価学会と並んで危険カルト認定であるとかないとか。

 勧誘の手口というのも目にした。思い当たることも多く、姫はなぜにオレに声をかけたのか? いろいろ可能性は考えたが、まぁ、甘っちょろいおっさんと思われたから、という可能性が高まった。寂しいが。

 主張としては、国立戒壇の建立というのもあるのだが、まぁ、この点だけ創価学会がマシと思える点だが、創価学会が主権在民を主張するのに対し、顕正会は戦前の天皇主権を主張するらしい。まぁ、その部分、当事者たちの主張を直接読んだわけではない。

 繰り返すが、何を信じ、法律に触れない限りは何を言っても結構なんだが、オレは与することはできない。心苦しいが 姫への退会の申し入れ、早くせねばなるまい。


 しかし、となると、結局顕正会、正宗、創価学会と主張の多少の違いをお互いディスっているが、その実やってることは大同小異で、これは法華宗の根源的教義あたりに問題があるような気がしてしまう。実際、まだ読んでいる最中だし、この前買ってきた本以外にもいろいろ目を通しながら、という作業をボチボチとやっているが、御聖人様、どうも、宗教人としてそれはどうよ? というのを多々お見掛けしてしまう。

 文字だけの曼荼羅。法華宗系はご本尊が仏”像”ではないらしく。「龍口の法難」という神秘イベントのあと、流罪となった佐渡で日蓮が作ったものなんだそうだが、文字だけ。「南無妙法蓮華経」という文字列の直下に自身の名前、左右に関係する神仏などの名前を廃したものなんだそうで。・・・絵心、残念ながらなかったんかな? 御聖人様のお気持ちはわからないが、これが後世、法華宗→日蓮宗を、なんかガサツなものにしてしまったことはないか? 絵なんて、仏絵なんて余計なものはいらん! とかなって、延いては人の細やかな日常の機微みたいなものに無頓着な宗教になってしまったことはないか? たかが絵ではあるが、それをめでるちょっとした心って大事だよ。でも、それはここでは大したことじゃない。

 神秘イベントの取り扱い。うまくいけば、私が正しいから起きた奇跡、という。世の中がうまくいかないのは、私の言葉を受け入れないから、というスタンス。これについて思うことは大体書いたが、勘違いか、特に顕正会には、御聖人様、自身を釈尊の生まれ変わりと自称したとか言ってなかったかな? 或いは妙法蓮華経そのものであるとか。大川隆法と同じこと言うとるやん。釈尊とかキリストとかの生まれ変わりと僭称する奴って多いのだが、他とは違う、これは真実であるという根拠が大体こういった神秘イベントなんだが、真実であるかどうか検証するすべもなく、一方で社会の不具合は、不信心という要素がなくても説明可能なものがほぼ100%であり、その不信心自体、それぞれが自分たちの教義以外をすべて不信心と括ってしまっているのだから、どれか一つを取って妥当、正当とする根拠はまるでない。

 いや神秘イベントが真正のものであるならば、素直に処刑されるべきだっただろう。菅公のようにこの世に祟るか、キリストのように復活してもいい。「龍口の法難」のような、一方からは奇跡と言われるが、客観的には何が起きたかあいまいで検証不能な、如何にも中途半端な神秘イベントというのは、日蓮の大きな根拠となりはしても、法華宗→日蓮宗の広がりを”その程度”のものにしてしまっている。凡夫のオレはそんなものはあるわけがないと思っているが、本当にあることなのらば、もっとはっきりわかり後世信者ないものにも語り草になるものにするべきだったな。

 また、現在のラノベよろしく、釈尊や経文の生まれ変わりであるというなら、上記の如くよほど強力で明らかな法力をいつでも示すことができるのではないのであれば、寧ろ自称はしないだろう、伝えられる通り叡智の集積であるというなら。別の、史実になかったより効果的なやり方で教義の拡大浸透、弘通を行ったはずだ。なんか御聖人様、オレ様がぁ!が強すぎたのか、そこら中にかみつきすぎだ。それこそ人の心の機微に疎かったのか、それではk教義は広まらない。

 社会全体なんて大風呂敷広げすぎだが、個々の信心、信心が足りていないから不幸が起こるとか信心しなかったから地獄に堕ちるのだという脅迫めいたものというのは、どの宗教でもありがちだが、例えばニーチェの「神は死んだ」というのは、彼が無神論者だったことを示すものではなく、寧ろ熱心なキリスト者だったところに、何を指してそう判断するか、信仰の強弱で救われたり救われなかったり、というのが、ルサンチマンの増幅につながっていることへの批判をこめたものだったわけだが、画一的な何かを求めてくる宗教を自称するものを宗教と呼んでいいものかどうか?

 三派はじめ、その辺法華宗系の人たちに訊いてみたいものだが、ダイバシティ、宗教や民族、人種などの多様性を受け入れるという、今日の流れについていかが思うか、というところ。それはそれ、というのであれば、どうか、オレを会員にするのは諦めて欲しいのだが、さて、御聖人が鎌倉期、それを言わなければいけない必然はあったのだろうが、それは今日的に妥当なんだろうか? 教義のアップデイトを簡単にできないのは、その時代、正に今現代、それぞれの教団、団体の上層部の地位保全とルサンチマンと他人に対してマウントとりたいという意志の拗れた形での充足以外に、意義が思いつかないが、まぁ、オレはあくまで門外漢で通すつもりなので、正確なことは知らない。

 あ、あと、身延って、「ゆるキャン△」で名前知ったけど、日蓮宗の聖地なんだな。

 FBIからカルト認定されようが、他の2派から批判されようが、実際のところ、そうそう問題活動が頻発しているわけではなく、会の体質として潜在的にそういうものがあることは否定できなくとも、個別の事象は会員の突出によるもののようであるし、表面上今現在、穏やかな団体と言ってもいいような気はする。オレはとても会員として活動することはできないが、信じることができる人はどうぞ。オウムのような差し迫った危険さがあるわけではなく、従って姫を力づくで連れ戻す、なんていうこともするつもりもない。これも繰り返す。姫は顕正会に救われた。そういうポジティブな部分もちゃんとある。信じるというのであればそれまで阻む理由も全くない。

 ただ、会社で、姫に以降、やはり嫌われるような形になるんだろうなぁ。非常に残念。つか、少し悲しいかも。まぁ、すべてうまくいくことというのも、この世にはあまりない。会社の業務に支障が出るようではお互いに損するのだから、派手なことは仕掛けられないだろう。

 会とは、「大人のケンカ」の準備はしておこうと思う。消費者センターには早い時期に相談しているし、知り合いの弁護士にも、宗教、消費者問題が得意な同業者(弁護士)はいないかと、今回の事は何となくほのめかしてはいる。

 今回の折伏は残念でした。しかし、オレはこのように面倒くさい奴なんです。どうか、すんなりリリースしてくださいますよう。

2021年11月28日日曜日

7240 CBX550F

 

7240 CBX550F


 画像はCBX550Fであるが、このころはバイクブームの奔りの頃。車体がそっくり同じで、エンジンブロックもほとんど同じで、ボアストロークだけ変えた、というパターンが結構あった。まぁ、免許制度の所為もあったのだろう。


 で、多分、この文、文中のMも読む。「こんなこと書くなよ~」とか、まぁ、程々に抗議してくる。深刻なようなら修正するか削除するかすることになると思う。


 通っていた高校には紙パックのpiknikだったかのジュースの自動販売機が入り口横に置いてある食堂はあったのだが、所謂購買というものはなかった。中学の時はあったんだけど。代わりに、小腹が空けばこの前書いた間島とか床鍋とか。教科書は高岡駅高校にある学海堂、文房具はその反対側にある、名前は忘れた文房具屋さん。
 休み時間に文房具を買いに出た。正門から。
 中学の時の同級生、他の高校に進学したが、その様子では学校に行ってないのだろう、Mが赤いCBX400Fにまたがって、所在なさげにしていた。何を会話したかは覚えていないが、まぁ、CBXの話だよ、当然、多分。


 時は流れる。何しろ、同じ中学だったからと言って、ほとんど当時話をしたことがない奴だったから。
 インターネット、SMSのおかげで、子供の時はそれなりに交流があった同級生とも交流がなかった同級生とも、そこそこ仲良く、飲み会で一緒に酒を飲んだりする。


 まぁ、オレらが社会に出てすぐぐらいから使われだした、ヤンキーだったんだが、ちょっとニュアンスが違ってたやつだった気もする、Mは。そういうわけで、特に親しくないうえに、SMSとか使いだしたのが40代からであったから、奴の年譜なんて全然知らないが、要するに長距離のトラック運転手で、奥さんと二人いた娘のうち一人と死別していると。

 奴の口から聞いた。いつもはにやけ顔の奴だけど、その時はさすがに表情が消えていた。その時点で何年前の事かも知らない。傷は癒えているのだろうか? いや癒えるはずなんてないんだ。できるのは、気持ちにどうやって折り合いをつけるのか? 
 Mは50代半ばの今になっても、スカジャンにリーゼントで、関西や名古屋で時々あるロカビリーのイベントに出かけて行っているようだ。しかし、まぁ、そんな話を聞いた途端、なんというか、底に流れているのは、ロカビリーではなくゴリゴリのブルースであるような気がしてしまった。でろんでろんのスワンプギターが流れてるような。

 手に余る感情、本人が本当は何を考えていたのか、全然わからない。大変だったな、としか言えることはない。
 しかし、奴は、今、偶に張り込んだ食事をインスタとかに上げたりする。何とかやっている。偶におめおめ生きている自分自身の卑怯をなじったりすることもあるのかもしれない。どうなのかはわからない。


 あのときは無邪気な子供だった。ヤンキーもテストで運動が得意だった子も点数獲るのが多少得意だったやつもそうなじゃないフツーの子も。
 まぁ、そろそろ親は当然、本人までも逝っちゃうようなお年頃で、そうじゃなくても、子供の時には想像してなかった苦労をしょい込んでる話も聞いたりする。或いは健康に不安を抱えてるとか。


 因みに、通っていた中学は、当時市内では一番ワルな中学だったそうで、県内にその悪名を轟かせていたそうなんだが。特にオレの代。
 でも、一つ上や一つ下に比べても、物故者が少なく、同窓会の出席も多く、なんか、大人になった今の方が仲良しだ。不思議なものだ。


 コロナ禍で、なかなか飲み会も開けなくなったが、ひとたびほろ酔いの同級生を見ていたら、なんかこんな感じで続けていけたらいいな、と素直に思う。



 でだ、奴の赤いCBXなんだが、あの後、割とすぐ、廃車になってしまうような事故に遭ったそうである。もったいねぇ。


2021年7月10日土曜日