2025年7月1日火曜日

どう変えるか?3 制度再設計に向けた実践的アプローチ:未来を拓く五つの道筋

 

制度再設計に向けた実践的アプローチ:未来を拓く五つの道筋

 現代日本が直面する制度疲労の打開には、単なる部分修正ではなく、根本的な再設計が求められる。ここでは、その第一歩となる五つの重点分野と、それぞれの具体的アプローチを提示する。


❶ 中央と地方の関係性を再定義する

 まず着手すべきは、「中央集権か地方分権か」という二元論を乗り越えた、新たなガバナンスモデルの構築である。特に、地方交付税制度を見直し、地方自治体が独自の判断で施策を展開できる財源の確保と自由度の拡充が急務と考える。たとえば、消費税の地方分配率を高めることや、交付金の使途制限を緩和することが考えられる。
 一重に、現状の制度、構造の継続により、日本という国家、日本の社会の衰退が避けられないという事実が顕著になってきている現状において、その衰退が特によく現れてしまっているのは周縁部、つまり地方からであり、それはやがて中央へ、日本全体へと広がっていくと考えるのが、まず普通だろう。或いは、患部を切除するように、衰退した地方を切り捨てる、という料簡も存在するのかもしれないが、地方というものがなくなるということが果たして本当に中央の衰退につながっていくことはないのか?という問題。
 中央に人的、経済的、政治的資源を集中させ、地方を切り捨てるというアクションがよりはっきりした時、日本という国が果たして存在しているのだろうか? 分裂は本当にないと言えるか?

 とはいえ、無条件に地方を甘やかすというのも、先が見えない話ではある。「自己決定には自己責任を伴う」という原則を制度に組み込む必要がある。国による画一的な縦割り補助金行政からの脱却を図り、教育・福祉・インフラなどの政策分野においても、地域ごとの創意工夫を可能とする設計へと転換していくべきである。

 とはいえ、地方分権が進めば、地域間格差の顕在化は避けられない。ここにこそ、国民的な議論を巻き起こす覚悟が求められる。言い換えれば、今まで何となく徹底的な議論を避けてきたが、「格差」というものに我々の社会はどういうスタンスで臨むのか?
 「どの程度の差異を許容するのか」という、価値観のすり合わせを避けてはならない。


❷ 政治と制度の「正統性」を再構築する

 制度が信頼を失ったときに求められるのは、「正統性の物語」を再構築することだ。これは憲法改正の是非といった議論だけにとどまらず、現代日本における「社会契約」をどのように更新するか、という問いに接続する。

 そのために必要なのは、熟議型民主主義の場を制度として時代に合わせて整備することである。一例として、国会とは別に、市民が議題に応じて集い議論する「新・国民対話フォーラム」を常設し、政策形成の初期段階から広く社会の声を取り込む。アイスランドの「市民憲法会議」などがその参考になる。
 否、ネットとAIを使えば、もっと容易に国民の議論の中から妥当性を導き出すやり方はあるのではないか?

 また、戦後日本が長らく拠り所としてきた「経済成長=正統性」という価値観から脱却し、人間の尊厳、環境との調和、社会的包摂といった新たな共通善を中核に据える必要があるのではなかろうか? 別稿で考察している最中だが、個々の人間としての主体が失われつつある現状で、ここで、何かやらなければいけないのではないか、と、考えている。すっと頼ってきた資本主義経済も、いよいよ行き詰まりの行き詰まりに行き当たっているのでは、と、過去の成功体験ではなく、未来への物語が必要だ、と、強く感じる。

❸ 官僚制度を可視化し、時代に適応させる

 信頼される制度の前提は、プロセスの透明性にある。まず国会における政策議論のあり方を抜本的に見直すべきである。官僚が作成したQ&Aを読み上げる形式を廃し、政策責任者の記名制度と議事録の完全公開を義務化することで、「誰が」「なぜ」政策を進めているのかを追跡可能にする。
 さらに、官僚制度と政治の役割分担を明確化する一環として、局長級以上への政治任用制の導入を段階的に進める。政策判断が問われるポジションには、忠実な管理官よりも、戦略的思考を持つリーダーを登用する体制が望ましい。

 予算制度についても、財務省主導の歳出抑制型から脱却し、中期ビジョンに基づく予算編成と市民参加型の予算(Participatory Budgeting:PB)を導入することで、民主的正統性を強化する改革が必要である。

 「正統性の再構築とともに、政策の妥当性を、目に見える形で追及せねばなるまい。

❹ 外国モデルの部分導入から現場実装へ

 「制度は輸入できても文化は輸入できない」と言われる。また、こういう議論では必ず他国は他国、日本は日本、と頑なになる向きがいる。その主張の妥当性を明らかにしないままにだ。
 成功事例を参照しない理由が存在するようには思えない。たとえば、エストニアのように行政手続をすべてAPI化し、人口・土地・法人などのベースレジストリを整備することで、行政の“プラットフォーム化”を目指すことができる。また、台湾のvTaiwanに見られるように、デジタル空間上での市民参加とAIによる意見集約を試行自治体から導入し、熟議のコストと障壁を下げていく取り組みも有効であろう。

加えて、北欧諸国に学び、教育・福祉・自治を連動させた地域限定公共圏(ローカル・コモンズ)を制度として支援することで、小規模自治体であっても自律的な運営が可能となる。福祉を「投資」として捉える発想の転換が、日本にも必要ではあるまいか?

❺ 統治と文化の再接続:教育改革から始める

 最終的な制度変革は、文化の再定義なしには成し得ない。その第一歩として、主権者教育を義務化し、学校教育における模擬選挙、政策討議、合意形成の演習を中高段階で必修化すべきである。民主主義は自然には育たない。教え、育むべき技術である。
 また、メディアやNPOと連携し、事実に基づいた意見の違いを尊重する「公論の場」を戦略的に行政が用意する必要がある。議論を避ける文化から、議論を通じて信頼を育てる文化への転換が鍵となる。
 更には、地方で実践される市民協議会や公民館民主主義の成功事例を、単なる“ローカルの物語”で終わらせず、中央に逆輸入する制度的ルートを設計することが重要である。文化は一方向には流れない。双方向の循環こそが、成熟した統治の姿ではないか?


三段階の改革ステージ

制度再設計は、一挙に完結するものではない。以下のような三段階での進行が現実的かな、と思う。

段階

キーワード

主なアクション

第一段階

軸の再定義

中央と地方、官と民の役割を明確化

第二段階

制度の可視化と開放

官僚・政治の透明化、市民参加による政策形成

第三段階

文化の転換と育成

主権者教育、公共的価値の再構築、対話文化の醸成



制度とは「生き方の選択」である

 日本は、「うまくできた古い装置」が惰性で動き続けてきた国家であると思う。しかし、その装置はもはや時代の重力に耐えきれず、綻びを見せている。もうボロボロだ。

 制度の再設計とは、単なる行政の合理化ではない。それは、「誰が、どのように生きる社会を築くのか」という、私たち自身の意思表明にほかならない。

 「ゼロから作り直す」という選択は、絶望からの出発ではない。むしろ、希望と参加を取り戻すための試みとしてこそ、私たちはそれを選ぶべきである。


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